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なぜ、「超反日」から「超親日」へ?【2】ー際立つフィリピン人の寛容さ

1962年、皇太子夫妻(現上皇、上皇后陛下)がフィリピンを親善訪問
1962年、皇太子夫妻(現上皇、上皇后陛下)がフィリピンを親善訪問

記事『なぜ、「超反日」から「超親日』へ?【1】ーフィリピン、戦後70年の歩み』で述べたとおり、戦後初期しばらくは、フィリピンの「反日」感情はすさまじく、アジアで最も対日感情の悪い国でした。その後、70年近いの年月が経過しましたが、フィリピン人の日本に対する感情はどうなったでしょうか。

◆現在は95%のフィリピン人が日本好き!

2015年、フィリピンの20歳から49歳の男女1800人対象に日本への好意度(とっても好き、好き、やや好きの合計率)はなんと95%以上!(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000039.000004729.html)。東南アジアのなかで日本に対して好感をもつ人が最も多い国となっています(下図参照)。

 

国別では、フィリピン人が最も好感度を持っている国はアメリカ(96%)で日本は第二位です。つまり、現在、日本はフィリピン人にとってアメリカと並び世界でもっとも好感度が高い国なのです。

 

現在、私はフィリピンのドゥマゲッティという地方都市に住んでいますが、街中のトライシクルドライバーなどは日本人とわかると、「そうか、日本人か~」と親しげにあれこれと話しかけてきてくれます。フィリピン人の対日感情のよさを肌で感じる毎日です。

 

英語学校の教師たちに、「日本って、どんなイメージ?」と聞くと、「テクノロジー」「メイド・イン・ジャパン=高品質」とおおむね好印象のプラスイメージ。若い先生になると、それにアニメ、コミック、ゲーム、Jポップなどサブカルチャーが加わります。20代、30代のフィリピン教師は日本人留学生と同じマンガを見て育った世代。『ナルト』『ワンピース』の話題になると、盛り上がり方が半端ではありません。

出典:グローバルマーケティング / アウンコンサルティング(株)
出典:グローバルマーケティング / アウンコンサルティング(株)

◆「大日本帝国」一番の被害国フィリピンが、なぜいま「親日」?

日本の侵攻によって、国土が焦土と化し、経済が破綻、国民の約7%が犠牲になったフィリピン。その歴史的経緯からすれば、いまだに日本が憎くても不思議でないのに、なぜこれほど程日本に好意をもつようになったのでしょうか?

 

理由は主に次の3つがあげられます。

 

① フィリピン政府が「反日」教育をしなかった
一番の要因は、政府が反日教育をしなかったことでしょう。ここが韓国、中国と大きく異なるところです。戦後の「反日」は、日本軍から殺された多くの一般市民の怒りから発したものです。しかしフィリピン政府は、この怒りを利用して国をまとめようとはしませんでした。

 

次に述べるとおり、戦後、最大の経済援助供与国の日本に対して「反日教育」をするメリットがないとの政治的判断でしょう。

 

② 日本が多額の経済援助を行った

戦後日本は、フィリピンと賠償協定を結び、フィリピンに対し1900億円の賠償金(戦時賠償金として最大額)を支払いました。日本軍は占領した他の東南アジア各国に対しても賠償金を支払いましたが、フィリピンへの賠償金は突出して高く、総額の50%を超えています。

 

実は、当時、このフィリピンに対する賠償金が高すぎると野党が批判しました。それに対して、当時、自民党のフィリピンをよく知る議員が、この程度の金額ですんだことに対して「敬意を表すべきだ」と反論しています。

 

③ フィリピン人の国民性がプラスに作用した
フィリピン人は概して過去にとらわれません。彼らにとって大切なのは「今」「現在」です。

 

我々の英語学校でも、祖父や親戚が日本兵から殺害された先生もいます。だからといって、それは昔の事、今のあなたとは関係ないと言ってくれます。それは私たち日本人への気遣いといより、本心から言っていることがわかります。

「超反日」から「超親日」へ:そこには日本人の贖罪の気持ちに応えるフィリピン人が
「超反日」から「超親日」へ:そこには日本人の贖罪の気持ちに応えるフィリピン人が

◆フィリピン人の前向きな国民性はどこから?

「日曜歴史研究家」を自称する当校の校長が、日本占領下時代の記憶をもつ85歳以上のフィリピン人に何人かにインタビューをしたことがあります。

 

協力者の一人の女性(88歳)は、当時、わずか13歳のとき、日本軍にスパイの容疑(?)を掛けられ、日本軍収容所に連行されていました。彼女は過酷な収容所生活から逃れるため、死を覚悟して脱走しましたが、幸い監視の目をかいくぐり死は免れました。しかし、その際、鉄条網に足をひっかけ重症を負いました。

 

見せてくれるというので、拝見しましたが、大きな傷跡でした。70年の年月を経て、なおも残っている傷を見るたび彼女は何を思うのでしょうか。

 

この高齢女性に校長は尋ねました。「日本軍に随分ひどい目に遭っているのに、日本に恨みはないのですか」。それに対して彼女は答えます。「ない。昔の事はあなた(方)とは関係ない。日本はその後フィリピンに多額の経済援助をしてくれ、フィリピン人に雇用の機会を沢山くれた」。

 

今を大切にする。過去を引きずらない。それがフィリピン人気質・国民性です。

 

ご存じのとおり、フィリピン人はスペイン、アメリカの植民地として、過去400年近くも過酷な生活を強いられてきました。それらに耐えて生き延び、命を繋いでこなければなりませんでした。彼らはそんな被支配の長い年月を、常に前向き、ケセラセラ(なんてこそないさ、なんとかなるさ)の気持ちで生き抜いてこざるをえなかったではないでしょうか。

 

「えっ、なんで?!」と思うほどのフィリピン人の突き抜けた明るく陽気な国民性を見るにつけ、これは、彼らが身に着けた生存戦略だったのではないかとさえ思うことがあります。

Teacher's Dayの当校(ウィル)教師たち:とにかく明るく陽気&いつも笑顔のフィリピン人です
Teacher's Dayの当校(ウィル)教師たち:とにかく明るく陽気&いつも笑顔のフィリピン人です

◆和解の道のりに

以上、戦後、フィリピンの奇跡ともいえる対日感情の変化をもたらした主要因をみてきましたが、これら3つの要因に共通するのは、日比両国民の努力だといえるのではないでしょうか。

 

上記②で述べたとおり、最大規模の賠償金を払ったのは、日本政府がアジア諸国の中でもフィリピンの被害が突出していたことを認識していたからでした。贖罪の気持ちが強かったし、フィリピンがその謝罪を受け入れてくれたことに感謝していました。

 

1964年、フィリピンへの自由な渡航が許されると、多くの日本人が慰霊のためにフィリピンを訪れます。日本人戦没者の慰霊碑がフィリピン各地に400もでき、慰霊碑を訪ねるツアーも盛んにおこなわれました。当時の遺族会の人たちは、フィリピンで日本人が残虐非道と非難されても否定できない所業を重ねてきたことを知っていました。それだけに、最初、フィリピン人からどのような仕打ちを受けるかと恐れていました。

 

しかし、フィリピン人は、日本人から見ると意外なほどに暖かく彼らを歓迎してくれたのでした。そうしたフィリピン人の寛容な態度に日本人も心から感謝し敬意を表しました。

 

1974年にルパング島で旧日本軍の小野田寛郎が発見されたときも、当時のマルコス大統領は「英雄」として日本に送りかえしてくれました。島の住民にいくたの被害(30名近い島民の殺害も含め)を与えていたにもかかわらず、その罪を問うことはなかったのです。

 

このようにフィリピンが寛容な態度を示してくれたのは、この頃までは日本人がフィリピンに与えた甚大な被害を知っており、それに対して「申し訳なかった」「ひどいことをしてしまった」という贖罪の意識をもち、それに沿った誠意ある振る舞いをしていたからです。

1974年、ルパング島で発見された当時の小野田少尉(中央)、29年間彼は戦っていました
1974年、ルパング島で発見された当時の小野田少尉(中央)、29年間彼は戦っていました

◆フィリピン人の間にはいまだ戦争の記憶が

しかし、現在の私たちはどうでしょうか。ほとんどの日本人は、日中戦争以降、15年間で国の内外で数えきれない兵士・民間人が犠牲になった、そんな悲惨な時代があったことを知っています。

 

ほとんどの日本人は日本が中国や韓国を植民地支配し、被害者を出してことも知っています。しかし、そうした日本人でも、フィリピンが日本の植民地支配による最大被害国であったことを知っているのはごく少数です。

 

これまで述べてきたように、現在、親日感情の高いフィリピンです。とはいえ今でもフィリピン人の記憶には、日本との戦争の爪痕が深く残っていることを知っておくべきだと思います。

 

たとえば、フィリピンでは4月9日は「勇者の日」として祭日になっています。日本軍がバターン半島で降伏したアメリカ軍・フィリピン軍捕虜7万人を100キロ以上歩かせ、結果1万人近い捕虜が死亡しました。「勇者の日」はそのとき亡くなった兵士を称える祝日です。もちろんこれは「反日」が目的の祭日ではありませんが・・・。「反日」でないという意味は、ちょうど日本の原爆記念館が「反米」が目的でないのと同じです。

 

また、1990年代になるとフィリピン側でマニラ市街戦の忘却に対する抗議の動きが出てきます。「南京事件は世界中の人が知っている(2015年、中国が申請した「南京大虐殺の記録」が世界記憶遺産に登録された)のに、マニラ市街戦は誰も知らないじゃないか」と抗議の声をあげる人々がマニラ市街戦の生存者・遺族のなかから出てきたのです。

 

戦後50年式典のとき(1995)も、戦後60年式典(2005)のときも、日本ではフィリピンに与えた戦争被害について全く報道がされませんでした。そうしたことに対してフィリピン側の抗議の動きが広がります。危機感を抱いた当時の駐比フィリピン大使、山崎隆一郎氏があちこちの式典に出向いて、心からお詫びをしたことでこの時は大きな問題に発展しませんでした。これについても日本では一切報道されていません。

1945年2月、日米の激しい市街戦でマニラは廃墟に、約10万人の市民が巻き込まれて亡くなりました
1945年2月、日米の激しい市街戦でマニラは廃墟に、約10万人の市民が巻き込まれて亡くなりました

◆フィリピン人の寛容さが際立つ

加害者であった日本人としては、できれば思い出したくない史実であり、知らないで済ませたい史実です。しかし、もし本当にこの先もフィリピンと友好関係を維持していきたいなら、日本人がフィリピンで犯した罪は記憶に留め、次世代に継承していくべきなのではないでしょうか。

 

現在、極度に悪化した日韓関係をみるにつけ、その思いはいっそう強まります。

 

1965年、日本は、日韓請求権協定を締結し、植民地支配の賠償として韓国の国家予算を上回る経済援助金と無償の技術援助を提供しました(結果、当時、北朝鮮以下の最貧国だった韓国は今は先進国の仲間入りを果たしました)。これにより、両国間の植民地支配の問題は完全かつ最終的に解決されたということで合意しました。

 

また、合意した後も日本は植民地支配に対して公式謝罪を何度も繰り返してきました。


にもかかわらず、戦後70年以上経っても韓国の朴槿恵前大統領は、「植民地支配の恨みは千年忘れない」、そして文在寅現大統領は「一度合意したから、謝ったからといって済む問題ではない」と未来永劫、補償と謝罪を求めようとしています。

 

一方、日本の侵攻によって国土全域が破壊され尽くしたフィリピンは、 物的・人的被害とも韓国よりはるかに大きな被害を受けました。にもかかわらず、一度も日本に謝罪を要求していません。

 

これを思うと、フィリピンの寛容さが際立ちます。フィリピンこそ日本に、未来永劫、謝罪を要求し続けても不思議ではない国だからです。

 

それだけにフィリピンの寛容さに甘えることなく、歴史的な悲劇を乗り越えて日本人に対して好感情をもってくれていること、国として友好的な関係を維持してくれていることに対して、感謝・敬意の念をいただき続けていたいと思います。

 

それはちょうど、日本人が、米国によって広島・長崎に落とされた原爆のことを、アメリカ人に知り・覚えていてほしいように・・・。

【参考文献】

小野田少尉ルパング島の「タブー」 『文藝春秋』2012年9月号 p.288-291

【筆者紹介】平山順子  

元名古屋大教育学部准教授(発達心理学Ph.D)

共著書『家族心理学への招待』(ミネルヴァ書房、2019年現在、第2班9刷発行のロングセラー)

現在、フィリピンで英語学校「ウィル・イングリッシュ・アカデミー」を経営。発達心理学の視点から子育てを応援するサイト「ワクワク育児革命~子育て・夫婦関係に悩むママ・パパのために」運営。

 

【お願い】英語学校ウィルは地元少年サッカーチームSPARTAN FC(貧困家庭の子どもたちが中心)のスポンサーをしています。地元リーグで準優勝を飾る強豪(?!)なのですが、靴はボロボロ、ボールはボコボコが悩み。中古のサッカー用品(靴7~17歳)を寄付してただけませんか? 「お問い合せ」でご連絡下さい。

 

 

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コメント: 4
  • #1

    M.O. (フィリピン赴任中) (火曜日, 26 11月 2019 07:17)

    素晴らしい記事をありがとうございます。まさにおっしゃるとおりだと思います。決して日本人は忘れてはいけませんね。

  • #2

    toyo (土曜日, 25 1月 2020 12:09)

    ほとんどの日本人は日本が中国や韓国を植民地支配し、被害者を出してことも知っています。

    >アホくさ。何にも知らねーんだな。

  • #3

    さくちゃん (金曜日, 21 2月 2020 15:59)

    はじめまして。
    興味深く読ませていただきました。

    日本軍はアジアではけっこう悪いことをしたんでしょうね。
    フィリピンは対米で重要な拠点だったので、いろいろとあったのでしょう。
    アンケート対象が20歳から49歳の男女1800人となっていますが、高齢者を含めたら結果はだいぶ違ったかもしれないですね。
    アンケート対象国家になぜかタイが入っていないのが不思議ですが、タイも日本が好きな人がかなり多い国です。
    ただし、日本軍が侵攻した時を直接知っている世代は日本が大嫌いな人が多いようです。
    大半の日本人は知りませんが、日本軍はタイ南部に上陸しタイ国軍と戦闘をしています。
    そして、むりやり同盟国側に引き入れて駐屯し、悪名高き泰緬鉄道を建設しています。
    私もそうですが、戦争を知らない世代に責任を取れと言われても困りますが、正しい歴史教育となぜそのような行動を日本がしたのかは記録してほしいものです。

    また、寄らせていただきます。

  • #4

    青木 (金曜日, 26 6月 2020 15:07)

    このサイトを持っている方がどの様な思想がベースなのか分からないが、フィリピンで日本兵を顕彰してくださっているフィリピン人の方が、スペイン300年、アメリカ50年、日本は4年、フィリピンを不当に支配(=殺人含むした)が日本だけが謝ってくれたと語っていた。相対的に日本はよくやってくれたとの事ですね。これは台湾でも同じで、日本が支配を始めるときには現地民との戦いがあり、何万にだか、何十万にだかが殺されています。それでも、国民党が入ってきた時よりも、トータルでは遙かに良かったと一般に認識されています。今、BLMなどと言って、大きな事が起きていますが、戦国時代には日本人を奴隷として売っていた戦国大名もいました。
    どうも、お話しが、日本が特別に悪いと言われているようで居心地が悪いですね。