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フィリピン・パブ:なぜ流行り、なぜ廃れたのか?

◆「フィリピン〇〇ブーム」と言えば~

 

「フィリピン〇〇ブーム」と言えば~。さあ、〇〇には何がはいるでしょうか?! 

 

留学中の生徒さんに試しに聞いてみました。答えは世代によってはっきり分かれます。10代後半~20歳代の生徒さんに聞くと、やや自信なさげに、「留学?」。一方、30歳代以上の方に聞くと、歳代以上の方に聞くと、自信たっぷりに「パブ!」。

 

そう、今から15~25年ほど前、「フィリピンパブブーム」が日本中を席捲します(もっとも日本だけでなく、韓国、香港などにも同様のブームがあったようです)。まさに、一大ブームでした。

 

この記事では、あのブームは一体何だったのか、なぜ流行り、なぜ廃れたのか、その点を振り返ってみたいと思います。

◆フィリピンパブ:なぜ流行ったのか?

 

30歳代以上の方にはお馴染み(たとえ行ったことなくてもよく耳にしたという意味で)、フィリピンパブ。最盛期の2004年には、過去最高の82,714万ものフィリピン人が興行ビザで日本にやってきました。

 

1年間に8万!ものスゴイ数です!なぜこんなに人気を博したのでしょうか。常連の典型は「子どもは独立、離婚して独身、自由になる金がそれなりにある50~60代の現役男性」。職業でいえば、町の中小企業社長、地元の商店経営者etc。足しげく通ったこれら男性諸氏によれば「フィリピンパブのいいところは、安いこと(キャバクラの約半額)、オレみたいな年配でもモテること(正確にはモテると思わせてくれる?)」「フィリピーノ(フィリピン女性)は商売だってことを忘れさせてくれるほどフレンドリー」「年齢が離れていても関係なく優しく楽しく接してくれる」「ビジネスライクな日本のキャバクラ嬢と違って気を遣う必要がない」などなど。

 

後で述べるように彼女たちは、興行ビザでタレント/エンターテイナー(歌手、ダンサーなど)として入国しますが、労働の実態はホステス(キャバレーやスナックでの接客行為)でした。しかし、歌やダンスができれば日本で仕事ができるということで、貧困家庭出身の若い女性たちは競って「じゃぱゆきさん」(ジャパンに行く人)を目指します。 

 

接客される側の男性にとっては、フィリピーノ特有の明るさ、陽気さ、人懐っこさのお蔭で、浮世の憂さが晴れる。そんな「この世の天国」並みの楽しさが何よりの魅力だったようです。そんな魅力が巷で話題になり、通いつめる男たちの数が増えるにつれ、マスメディアなどでもその様子が頻繁に紹介されるようになります。こうしてフィリピンといえば「パブ」のイメージが日本中で共有されるようになりました。 

底抜けに楽しい! 天国だ~!!
底抜けに楽しい! 天国だ~!!

◆フィリピン・パブ・ブーム:プッシュ要因 ✖ プル要因

 

2004年をピークに全盛を極めたフィリピンパブでしたが、登場から約30年、現在は風前の灯。その歴史を閉じようとしています。その数は激減、全盛期の10分の1くらいと言われています。

 

では、フィリピンパブはどのようにして全盛期を迎え、いま幕を閉じようとしているのでしょうか。そして、このブームは一体何を残したのでしょうか。約30年間の歴史を簡単に振り返ってみましょう。

 

今をさかのぼること、40年以上前。実は、フィリピンはグァム、ハワイなどに並ぶ人気の観光地でした。ところが1980年代に入ると、フィリピンでは日本人を初めてとする外国人観光客が激減しました。日本人の足が遠のいた理由は大きくは2つ。1つには、フィリピンやタイへの買春(当時は売春)ツアーに対して国内外で批判・非難が強まったためです。もう1つは、1982年、マルコス政権が厳戒令を発布、これにより、フィリピンは「危険な国」だとみなされるようになったためです。

 

外国人観光客が激減したフィリピンのエンターテイナー業界。座して待つよりということで、若年女性エンターテイナーを日本に送る動きが出てきます。「じゃぱゆきさん」誕生です。1982年、フィリピン政府が「海外雇用庁」を設置し、国民の海外での就労(出稼ぎ労働)を国策として奨励するようになったことがこの動きを加速させます。と同時に、前述のとおり、日本でのフィリピーノ人気、フィリピーノ需要増大がこの動きを後押しします。

 

こうして、フィリピン側の「日本で稼ぎたい!」のプッシュ要因と日本側の「フィリピーノ、もっと来て!」のプル要因がみごとに噛み合います。

 

本来、興行ビザはタレント(歌手、ダンサーなど)だけに認められるべきビザです。しかし、認定要件があいまいだったため、「タレント」「エンターテイナー」とは名ばかり、実際は、フィリピンで簡単なダンスや歌の練習をしてきただけの「なんちゃってダンサー」「なんちゃってシンガー」が大半を占めていました。全盛期には、フィリピン各地で日本側のブローカーが暗躍、各地でオーディションを開催、容姿を主基準に選抜した女性に興行ビザを取得、どんどん日本各地に送りこんでいました。

 

こうして、冒頭で見たとおり、フィリピンと言えば「パブ」というほど、フィリピーノだけを集めたパブが全国に登場、話題となります。特に若い女の子が少ない地方都市では人気で、北は北海道から南は沖縄、八丈島に至るまで歓楽街には必ずフィリピンパブがあった賑わいをみせていました。

フィリピン人にはなぜだか歌&ダンスが得意な人が多い
フィリピン人にはなぜだか歌&ダンスが得意な人が多い

◆フィリピン・パブ:なぜ廃れたのか?

 

ところが、フィリピンパブ全盛期の2004年、大きなターニングポイントが訪れます。米国の国務省による『人権売買報告書』の中で日本が人身売買容認国として名指されたのです。数十万人いた若い外国人女性の興行ビザによる日本入国は「性的搾取による人身売買であり、被害者である外国人女性を全く保護していない」と非難されました。

 

実際、ブローカーはヤクザであったり、ヤクザと絡んでいることも多く、パスポートを取り上げ逃げられないようにして売春行為を強要するなど悪徳なブローカーがいたことが問題を大きくしました。このような国際的非難に対して、日本政府はなんら反論することなく、すぐに興行ビザ運用の厳格化を決めます。素直に米国の圧力に屈したのは、当時、日本が安全保障理事会入りを目指していたという裏事情が大きく効きました。

 

こうして2005年に興行ビザ発給の審査基準が厳格化されたことにより、実質、エンターテイナーとしての入国は、フィリピン人に限らずすべて門戸が閉ざされます。厳格化から2年後の2006年には、興行ビザの発給件数は10%程度に激減、日本各地にあったフィリピンパブは大打撃、廃業や転業を強いられました。

 

現在残っているフィリピンパブで働く女性は、そのほとんどが興行ビザではなく、日本人男性との結婚で滞在許可を持つ妻、あるいは親族訪問ビザで来日、その後不法滞在をしている女性たちです。こうして興行ビザが規制されたいま、新しいパブ嬢を入れることができなくなり、パブ嬢といっても30歳代後半から40歳代で高齢化が進んでいます(※)。

 

 

➡続編をご覧ください(「フィリピンパブ嬢は可哀そうだったのか?」)。

フィリピンパブ嬢の日本での生活はどのようなものだったのか、米国に「人身売買」と批判されるほど劣悪なものだったのか? フィリピンパブ嬢自身は、日本での生活・仕事をどのようなものと感じていたのか? 「搾取されて可哀そう」なものだったのか? そのあたりを見たいと思います。

 

 

(文/junjun @ ウィル・イングリッシュ・アカデミー

【参考図書】

 中島弘象 フィリピンパブ嬢の社会学 2017 新潮選書

 

 

※ホステスの高齢化:このため新たな問題が生じている。若いフィリピーノが必要ということになり、そのリクルート手段として「偽装結婚」が増加しているのだ。若いフィリピン人女性を日本人男性と偽装結婚させ「日本人の配偶者」のビザを取得させて来日させる。闇契約のため、来日後、契約内容が悪化(2年の契約のはずが3年になるなど)することが多い。しかし、彼女たちも偽装結婚が違法であることを知っているので、訴えることもできず過酷な状況に置かれているケースも少なくない。このあたりの事情は、上記の本に詳しい。

 

 

偽装結婚させたフィリピーノを働かせているパブは営業停止となる
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